リヴァプールのジョン・レノン&ポール・マッカートニー 「母への想い」

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1957年7月6日は、ビートルズのジョンとポールが、リヴァプールで出会った日です。

現代と違い、知り合う手段の少ない時代に、今でも私たちを熱狂させている才能が出会うなんて、本当にミラクルですね。

今回は、日本で7月5日公開された、2008年制作ビートルズのドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズの軌跡 リヴァプールから世界へ」でも描かれている、ビートルズ結成の時に想いを馳せながら、ジョンとポールの出会いについて語ります。


リヴァプールのジョン・レノン&ポール・マッカートニー 「母への想い」




ジョンのInstagramより、幼いジョンと、暮らしていた伯母夫婦の家の写真です。


こちらは、ジョンのお母さん。


ジョンは家庭の都合で、母の姉のミミおばさんと暮らしていたのですが、お母さんのところへもいつも行って、悩みとか音楽のこととか、たくさん話していたそうです。

お母さんがジョンに、楽器演奏の手解きをしたので、ジョンも相談しやすかったのでしょうね。

ジョンがバンドを始めてライブに出ると、応援に駆けつけていたという明るいお母さん。

同じ親として共感できるエピソードです。( ・∇・)♪

けれど、交通事故で、お母さんが突然亡くなります。ジョン17歳

この悲惨な母の最期は、ジョンの心に暗い影を落としました。


そしてこちらは、ポールのInstagramから、ポールのお母さん。

ポールは、お母さんのお誕生日やイギリスの母の日に、Instagramでも写真を投稿してお祝いしています。

ポールはすごく家族思いですよね。たくさんの子どもたちと、いつも幸せそうです。



しかし、そのポールも、お母さんを早くに癌で亡くしています。ポール14歳

ポールの家族は、リヴァプールで7回も引っ越しをしていますが、最後に引っ越してしばらくした時の出来事でした。

広いおうちで、傷心のポールがキッチンに立つこともあったとか。辛いですね。



二人とも、母親との悲しい別れを十代で体験し、気持ちを分かち合い、その後の作品へ影響させていきます。

ビートルズも、初期の頃はずいぶん苦労していて、その経験が成功へのバネになったということですが、二人の曲作りへの原動力は、寂しさからくるものだったように思います。


リヴァプールのジョン・レノン&ポール・マッカートニー : バンド中心の青春時代


ジョンは、学校の友だちと「クオリーメン」というバンドを結成。

ジョンのInstagramより、当時の様子です。

みんなリーゼントで、それっぽいですね。( ・∇・)



そして、7月6日に、ポールがクオリーメンの演奏を聴きに来ます

近所に住んでいたため、共通の友人がいて、彼の紹介で初めて出会いました。

ポールはギターの腕前を披露。さらに他にも楽器ができると聞き、感心したジョン。

クオリーメンのメンバーは、ジョン以外コロコロ変わっていたため、ジョンはポールをバンドに誘いました

こうして、ポールはクオリーメンに入り、あとのメンバーはみんなやめてしまったので、ポールの紹介で加入したジョージと3人になります。

ビートルズに近づいてきました。( ・∇・)


リヴァプールのジョン・レノン&ポール・マッカートニー : 心の穴を埋める音楽と絆


ジョンは、ミミおばさんが厳しかったのもあり、ポールの家にしょっちゅうやって来て、二人で作曲していたそうです。

ポールのお父さんも、アマチュアのジャズバンドマンだったので、音楽に理解があり、二人を応援してくれたのでしょうね。

ポールの弟が、幸運なことにカメラが趣味で、若い二人が作曲しているところなど、貴重な写真を残してくれました。

現在は、一般に公開されているこのお宅を見学に行くと、当時の写真が迎えてくれ、名曲誕生の時をリアルに伝えます。

「One After 909」、「Love Me Do」、「I’ll Follow The Sun」、「I Saw Her Standing There」、「When I’m Sixty-Four」などなど、「え!こんなカッコいい曲、もう作ってたの?」と思うレベルのヒット曲を、どんどん書き上げているのです。


ビートルズのInstagramより、「One After 909」。
解散間際で初期の曲を披露するとは、感慨深いです。


二人とも音楽で、寂しさから出来た心の穴みたいなものを、埋めていっていたのではないでしょうか。
強い絆と共に。


同じくInstagramより、駆け出しの頃のビートルズ。


リヴァプールのジョン・レノン&ポール・マッカートニー 「母への想い」: おしまいに


ポールのInstagramより、ライブで映し出されるジョンと歌うポール。


ビートルズの解散などで、わだかまりができた二人も、ジョンとの永遠の別れまでに和解出来ました。

ビートルズとして走り出す前から、隣で支え合ったライバル同士、いつもどこかで共鳴していたと感じます。

曲を聴けばわかる、二人の情熱や叫びや笑い…。

故郷リヴァプールと、母への感謝も聴こえてきます。


読んでいただき、ありがとうございました。( ・∇・)
また素敵な音楽と出会えますように。Yua♪

↓↓ビートルズ最後のライブ「ルーフトップ・コンサート」について書いています。

アイヴ・ガッタ・フィーリング I’ve Got A Feeling ビートルズ 最後のライブ 伝説のルーフトップ・コンサートとは

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