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本日は6月29日、日本ではビートルズの日です。🇯🇵🎵
1966年の今日、台風の中、ビートルズが日本へやってきました!ヤァ!ヤァ!ヤァ!
当時の音響設備の限界、聴衆の叫び、決していい状態ではないけれど、決定的なオーラを放っています。
公演の様子と、この公演でも歌われた名曲「イエスタデイ」について語ってみました。
1966年 ビートルズ日本公演 武道館をライブ会場に変えた革命!セットリスト
1964年の東京オリンピックのために建設されたピカピカの日本武道館で、ビートルズ最初で最後の日本公演が開催されました。
「ロックンロールは不良の音楽」という昔の話ですから、「武道をする神聖な場所」でライブなどけしからん!という反対派も多数いたようです。
それでも実現できたビートルズの人気、すなわち音楽革命。まあ、ビートルズの出現自体がレヴォリューションなのですが。
ビートルズ日本公演のセットリストです。
- ロック・アンド・ロール・ミュージック
- シーズ・ア・ウーマン
- 恋をするなら
- デイ・トリッパー
- ベイビーズ・イン・ブラック
- アイ・フィール・ファイン
- イエスタデイ
- アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン
- ひとりぼっちのあいつ
- ペイパー・バック・ライター
- アイム・ダウン
「ひとりぼっちのあいつ(Nowhere Man)」「ペイパー・バック・ライター」は、このライブ状況で特にハモりが難しいと思いますが、しっかり後半に入っています。
パッと見ると少ないですが、7月1日と2日は、昼夜2回公演。ハードですね。合間に東京ヒルトンホテルへ戻っていたようです。ホテルではもちろん外出禁止。
ポールとジョンは、ちょっぴり外出し、すぐに連れ戻されています。( ・∇・)
1966年 ビートルズ日本公演 武道館をライブ会場に変えた革命!日本の聴衆は静かだった?
ビートルズのライブ動画を観ると、女子の叫びがすごくて、演奏はほぼ聴こえません。
日本公演は、厳重な警備の元、アリーナには聴衆を入れず、立ち上がることも禁止され、比較的静かだったと言われています。
そのため、ビートルズのメンバーも珍しく自分の音を聴くことができ、公演中にパフォーマンスを改善していきました。この向上心は、人気スターなのに素晴らしい!
中でも「イエスタデイ」は、みんな聴き入っていたようです。静かな曲は静かに聴く。あっぱれ、日本。
この公演では、ポールはアコギに持ち替えせずの珍しいヴァージョンでした。
何の公演か忘れたのですが(すみません)、ジョンがインタビューで、「イエスタデイ」をみんな静かに聴いてくれていて、クラシックコンサートのようだったと言っていました。
1966年 ビートルズ日本公演 武道館をライブ会場に変えた革命!名曲中の名曲イエスタデイ
ビートルズのInstagramから、「イエスタデイ」を歌うポールです。
「イエスタデイ」を、ポールが夢で作曲したエピソードは有名ですが、その降ってきたメロディーにぴったりの歌詞をつける神技。
歌い出し、「Yesterday…」と簡単な単語から入り、すでに聴く人を惹きつけてしまいます。
英語苦手な日本人でも、「昨日?」と思い、次が気になる。
そして、滑らかに音が上がっていくのですけれど、それがもう、遠い彼方をイメージさせ、マイナーのコード進行が辛い想いを表す。その旋律に、自然に寄り添う歌詞です。
ポールの歌詞は、歌いやすいのに言いたいことが伝わる凄さがあります。
教科書で見た時は、ちょっと物悲しいイメージだったのですが、年と共に共感できる曲となり、味わいが増してきていて、本当に不思議な曲です。
1966年 ビートルズ日本公演 武道館をライブ会場に変えた革命!「イエスタデイ」: おしまいに
私は部屋に、ビートルズ日本公演のポスターも飾っています。
人気街道をひた走る、やるしかないぜという感じの雰囲気が好きです。
そして、やっとこさ下手なギターで一曲弾けた曲は「イエスタデイ」でして、私の中で気持ちをリセットし、またいくか!と思わせてくれます。
ビートルズ日本公演を聴いた、ラッキーなビートルマニアたちも、それぞれ何かを掴んでいったのではと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。( ・∇・) ♪
また素敵な音楽と出会えますように。Yua♪
↓↓ビートルズ最後のライブについての記事です。
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